2006年05月31日

朗読修行”祭の晩”(3)(宮澤賢治)

[5'25"/1.3MB]

宮澤賢治作”祭の晩”最終回です。
亮二は、祭りでの出来事をみんなお爺さんに話します。っとそこへ大きな地響きと音が。。山男がお礼を持って来てくれたのでした。
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2006年05月29日

[気まぐれ告知]テーマ音楽追加予定。。

本当にいつも思いつきですみません。現在2曲有るココのテーマ音楽を、4曲に増やす計画をたてました。どうせ使い分けるなら、最新記事で感じている気持ち毎に、曲を変えてみようという試みです。気持ちだけに、”喜怒哀楽”というのが重要かなと思い、その4っつの気持ちにそれぞれ作った曲を強引に合わせてみようと思います。
既にある曲を2つに割り当てて、下記の構成を考えています。

 喜:Team music 3(現在作成中)
 怒:Team music 1
 哀:Team music 4(請うご期待)
 楽:Team music 2

”喜”に当てはめるTeam music 3は、近々に公開出来ると思いますので、また聞いてやって下さい。
よろしくお願いします。

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2006年05月28日

朗読修行”祭の晩”(2)(宮澤賢治)

[4'56"/1.2MB]

宮澤賢治作”祭の晩”2回目(全3回)です。
亮二が出会った大きな男(山男)が、掛茶屋で村の若者にいじめられています。どうやら見世物でお金を使い果たし、だんご代が払えない様子。亮二は残った五銭を山男に渡して助けてあげました。
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2006年05月24日

朗読修行”祭の晩”(1)(宮澤賢治)

[4'12"/1.0MB]

宮澤賢治作”祭の晩”を3回に分けて公開します。今回はその1回目。
亮二はお小遣いを十五銭もらって、山の神の秋祭りに出かけます。行くとすぐに見世物小屋の男に強引に勧められて、ついついつまらない空気獣に十銭も払わされますが、そこで同じように十銭払ったちょっと変わった大きな男に出会います。
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2006年05月21日

朗読修行”ラッパ”(新美南吉)

[1'55"/0.4MB]

またまた、とても短い作品です。今回は新美南吉作”ラッパ”です。
おじいさんの頼みで、息子が送ったものはラッパでした。またおじいさんの頼みで2つ目のラッパを送る時に、お互いの気持ちと思いやりが見え隠れします。
posted by 殿下信平 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | # 朗読修行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

# 心無い ソロバン勘定 税改革 #

今日の新聞に、自民党の検討している税制改革の記事が載っていました。介護保険の負担率上げや雇用保険の国庫負担廃止など、国民個々は苦しくなりそうな話ばかり。そして目標はというと歳入・歳出の一体改革らしく、いかにも国という塊の状態改善を考えている。歳出を減らすためのしわ寄せが、個人の負担部分に跳ね返るのを、政治家の皆さんは当然のように検討しているようです。富裕層に居る政治家さん達にとっては、上でいう個人負担の影響がきっと少ないんでしょうね。だから平気でソロバン勘定だけと感じられる検討が出来るんじゃないかと思います。

それにしても、その国の状態改善は、いつどのように国民に益をもたらすのでしょう。何だか”お国のためなんだから、構成員の国民は負担をしいられてあたりまえ”と言われているようで、現実に武器・物理的戦闘こそないものの、帝国主義の頃の発想と変わりないんじゃないかなと、思いたくなりますね。それに、今の国の状態の悪さは国民個々に起因しているというよりも、どちらかといえば、歴代の政治家の皆さんがやってきた政治がマズかったことが原因じゃないんでしょうか?!
今の政治家本人がやった事じゃないとは言っても、もっと主体的に痛みを負担した改革を考えるべきじゃないかと思います。若しくは、もっともっと真剣に頭を使って良い手を考え、安易に国民負担で逃げる手ばかり考えないようにしていただきたいですね。
posted by 殿下信平 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 意の儘に..(オヤジ川柳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

朗読修行”永日小品『蛇』”(夏目漱石)

[6'25"/1.5MB]

夏目漱石作”永日小品”の2回目『蛇』です。
雨の日に、作者が叔父さんといっしょに魚獲りに出かけた思い出。ぬかるんだ泥道を越えて、濁った流れの中で叔父さんが獲ったものは、魚ではありませんでした。
posted by 殿下信平 at 18:04| Comment(2) | TrackBack(0) | # 朗読修行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

% 各位 %

劇団サイトからの転載(ちょっと修正) 第15弾

複数を表す宛名にくっついているアレです。最近、会社内の文書も多くがE-mailで送られるので、会議の召集レポートなんかもメールで届きます。そんなメールで最近よくみかけるんですが、”各位”の後ろに”殿”を付ける人がいるんです。”各位”って”皆様”とか”皆様方”ていう意味だから、これ以上敬称をつける必要ありませんよね??! それとも、敬称の重ね使いルールなんて日本語にありましたっけ?メールで見かけるたびに違和感をおぼえている私です。

違和感を感じている私は、”××各位”でレポートなどを発信するわけですが、”××各位殿”と書いている人には、”失礼なやっちゃな”とか思われているんじゃないかと考えると、ちょっとやな感じですね。
posted by 殿下信平 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば?! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月04日

# あてないと 思う心で 疲れ増し #

(”何楽し? 判らぬ自分で 彷徨し”の対句になるかな?? 一晩寝た後で。。)
行動の先には、行き着くべき先が見えていないと、行動する動機付けも出来ないし、行動するエネルギーも湧いてきません。その”あて”が無い状態なのに、とりあえず動かなければならない事が続くと、特に心のエネルギーが補充されないまま、無駄にエネルギーを費やしてしまいます。それで、常にエネルギー不足にアップアップする状態に。。。

無体な扱いを受け続けたり、ことばのキャッチボールができない壁(完全抵抗)のような、またはスポンジ(完全無視)のような相手と付き合い続けていると、そんな”あて”が見えなくなってしまうようです。
ただ、無体な扱いを受けているのは自分であり、キャッチボールが出来ない原因のかたわれも自分です。そうだとすれば責任は自分にも有り、逆に言えば自分の考え方・行動によって、この状況は変えられるということにもなりそうです。

ちょっと難しそうですが、ずっとつらい暗闇に居ることを思えば、難問を考えている方がどんなにいいか?! ”あて”が実感できない原因をはっきりさせてそこを解決すれば、すぐに明るい場所へ出られないとしても、一筋の光明は得られる気がします。

仕事でも、日常生活でも、趣味でも。。”あて”を見つけること、いつもその”あて”を意識することを忘れないようにしなければと思います。
posted by 殿下信平 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 意の儘に..(オヤジ川柳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

# 何楽し? 判らぬ自分で 彷徨し #

最近の私です。仕事していてもなんら張合いが無い、ましてや夢も持てない。家族と遊びに出かけても、どうやって体を休めるかばかりを考えて、楽しむなんて気持ちはどこへやら。行きつけのお店で飲んでいても、酒にほろ酔いのはずが、ふと”今日は何でここで飲んでるんだろう?!”っと冷めた自分が目を醒ます。ついには好きでやってるはずの趣味の最中に、”これやって何になるの?!”っと本末転倒な自問自答を始める始末。(この自答の内容は実は見えないまま。。)

なんだか、やりきれない気持ちで彷徨っています。元気に色んなところで活躍されている人達は、どんな心持で活動しているんだろう?きっと悩みなどもあるはずだけど、どうやって楽しんでいるんだろう?っと考えてみても、見た目だけでもその対極にいる私などに判るはずもありません。まさに出口の見えない闇のなかで、手探りしながら芋虫のように蠢いている感じ。。。

 病気?

 年を重ねた結果仕方の無い状態?(みんなそうなって行くの?)

 出口は有るの?ずっとこのまま? etc.

疑問は山ほど有っても、ちゃんと答えてくれる人は、少なくとも今私の周りには居ません。それでもなんとか、答えらしきものを探してみましょうか。。。。。?!

個人差は有るでしょうし、置かれた環境によっても感じ方も違うのかも知れません。もしかして現状はやはり、自分が選択し行動した結果?! 本当に楽しんでいる人が沢山居る中で、自分はこんな闇の中にいる?! だとしたら、なんと酷い選択をしなんとだらしない行動をしてきたことか...

無理してみても、やはりすぐには答えは出そうにありません。
posted by 殿下信平 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 意の儘に..(オヤジ川柳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月03日

% 多生の縁 %

劇団サイトからの転載(ちょっと修正) 第14弾

『袖振り合うも・・・』ってよく?!いいますね。私、この場合の”タショウ”っていうのを、”多少”だと思っておりました。またまた無知をさらけ出しながらではありますが、かるぅ〜くまいりましょう。

 ほんのちょっとした縁

なのかなと思っていたので、上記のように”多少”かなと思っていたのですが、そんな安直な意味ではなく、表記もタイトルのとおり、”多生”若しくは”他生”と書くそうです。この”多生”とは、少々仏教的な匂いのする言葉で、

 何度も生をかえてこの世に生まれ出ること。

ということのようです。ですから、タイトルの”多生の縁”というのは、

 生まれ出る前からの多くの生を経る間に結ばれた因縁

なんていう意味らしい。輪廻転生する間に身に付く他の魂との結び付きなんですね。何度も生まれているとすれば、各生のなかで、どんどん縁のある人が増えますから、この世においても、全く縁の無い人は居ないのかも知れません。
ただ、途中で悪い生を送ったことがあるとすると、長い間には、餓鬼・畜生とも縁を結んでいたりするかも知れません。できれば、天人の方と縁を持ちたいものですが、前世までに、そんな良い生を送った気がしないのは、今がつらいせいですかね?!

因みに”他生”というのは、前世と来世を表し、それに対して今生きているこの世は文字どおり”今生”となります。

私は、”今生の別れ”よりも”多生の縁”を、この世でも沢山結びたいと思いますが皆さんは、いかがですか?
posted by 殿下信平 at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば?! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月02日

# 金かけず レジャーしようと 四苦八苦 #

もう一つ、こちらはMy WebPageから転載です。

しがないサラリーマンで、うだつも上がらない今の自分では、休みの日にそうそうお金を使える状況でもありません。
でも、子供や家族を抱えて、連休に何も無しってわけにもいきませんから、何とかできないかと、疲れの取れていない脳で考えます。ところが、常日頃よほど”良い遊び”に縁が無い、というよりやっていないため、こういうときに適当な案が浮かばないんですね。

おまけに数年前は、"連休前に思いつきでDisney seaに行ったのが良くなかった"などと、後のまつりな反省したりするチグハグぶり。料金が比較的安く交通費もあまりかからない範囲で行く先見つけて、水族館・動物園、時によっては家の近くのスーパー銭湯等で、お茶を濁すはめに.....

自分自身が関東に暮らし初めてからの悪癖(と思ってますが)で、休みといえば、どこかのアミューズメントプレイスに出かけることくらいしか、思いつきません。

理想では、子供と一緒にできる創造的な遊びや、本当の想い出にのこる家族でのイベントなど(具体的に言えないのが情け無いかぎりですが...)で、楽しい時間がすごせれば、最高なんですけどね。お金沢山持っていないのに、お金使わないと遊べないというのは、やはり遊び方を間違っているとしか言えません。もう少し立派?!に遊べるよう、修行し直しです。
(っと数年前に作った川柳を見返して、進歩のない自分を再認識;;)

たまには、アミューズメントパークも良いですけどね!(笑)
posted by 殿下信平 at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 意の儘に..(オヤジ川柳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

# 知り人に 言われて気付く 今の我 #

知り合いと話していて、”○○さんって、××なんだよね?!”などと言われて、『はッ』とする事が、時々あります。言われてみると確かにそのとおりなんですが、『この人には、自分がこんなふうに見えてるんだ。。』っと思い、ちょっとブルーに。おまけに、言ったその人だけではなくて『他の人達もきっと同じように思ってるんだ?!』っと、自分に追い討ちをかけたりして。。。

そう、こういう話って大抵は寂しい内容の場合が多いんです。日常、自分の中ではついつい自分の事を美化して考えているもの。口では”私って△△だから”とか”俺って□□なんだ”っと謙遜めいた事を言っていながら、やはり心の中ではどこか自分を可愛がっているんですね?!

人付き合いの苦手な私は、なかなか腹割って他人と話することも少なくて、そのせいかそんな話を聞く機会も少なかったりするのです。それで、そんな背景も有ってか、そのような言葉を聞くたびに、周りの人の言葉に心揺れ、[小さい自分]に嫌悪を覚えたり情けない気持ちになったり。

生きてきたこれまでと、それによって至った今が確かに情けないこともありますが、考えてみるとこれって自分の在り様の基準を、他人に委ねていることになりますよね?!
本当なら、他人からどんなふうに表現されようとも、自信を持って積み上げてきた今の自分なら、何も落ち込んだり悲しんだりする必要はないはず。

そんな事で一喜一憂しなくてすむよう、ゆるぎ無い自分を確立しなければと思います。
posted by 殿下信平 at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 意の儘に..(オヤジ川柳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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